記事一覧

本来無一物

若いころ読んで多くの示唆を受けた書物に「茶席の禅語」がある。

10年前になるか、その本をある人に贈呈し、以来手元になかったのだが、このたびヤフオクで入手した。

P1019525(2).jpg

PICT0439.jpg



私が、色紙などに書く言葉に「本来無一物」というのがあるが、もらった人は意味がよく分からないだろう。

そこで、今夜はこの著作から、簡単に説明しよう。


****************************************************


支那禅宗(唐の時代) 五祖弘忍禅師の下では700人の僧が修行に励んでいた。
その中でひときわ優れた神秀上座という人物が、我こそが六祖にと名乗りを上げた。

その偈は次のようなものだったという
P1019517(1).jpg

これを見た全山の人は、さすが神秀上座だと感心したというのです。
実に立派な「真面目」の境地です。


ところが、お寺の下働きで、僧でもない(得度していない) 蘆能という行者(あんじゃ=米つきの労働者)が、神秀の偈に

「まだまだ十分ではない」と異を唱え、次の偈を書きました。
(蘆行者は文盲で童子に頼んで書いてもらったという説もあります)

P1019522(1).jpg

大衆はそれを見て、これもすごいよなと評判になりましたが、五祖はそれを見るなり、「こりゃ、アカン」と草履の裏でこすり消し去りました。

(すごすぎたのでしょうね)


その夜、五祖は蘆能をひそかに呼び寄せ大法を授け、仏祖伝来の衣鉢を与えました。

全山の嫉妬から蘆行者を守るため、黄梅山から夜に紛れて蘆を逃がすのですが、山下の川岸から五祖が自ら棹をさして、舟を進めたそうです。盧が私がやりますといっても五祖は

「彼の岸(悟り)へ渡すのは師である私の役目だ」といってどうしても聞き入れなかったそうです。

この蘆行者が禅門でやかましく言われる六祖恵能禅師です。


※ この話で私は、禅のすごいところを垣間見ます。字が書けなくとも、下働きでも、その思想にダイヤモンドのようなきらめきがあると、師たるものはすぐに見分けて、大切な「大法・仏祖伝来の衣鉢」を与えるのです。まさに実力主義ですね。
わたしも、聊か曹洞禅の風下でその禅風を受けたものですから、「動く禅」と呼ばれる居合のなかで、そういった気分を働かせたいと思っています。


川岸にいつまでも見送る五祖、振り返り、振り返り去ってゆく蘆行者、やっとの思いで正解にたどり着いた、師弟の姿の美しいエピソードです。






スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

大城戸豊一基輝(無端庵晟輝)

Author:大城戸豊一基輝(無端庵晟輝)
全日本居合道連盟
 【基道館】
無端塾・浮雲會・月影会・卍堂・瑞月会・萬重関塾などの宗師範 

基道館

無双直伝英信流居合道 無想月下無端流剣体術 卍一刀流試刀術 それら伝承の古流を「真剣道」と呼称し居合維新を標榜する

最新記事一覧(サムネイル画像付き)

中川式毒出しツボ療法 Oct 17, 2017
B層庶民というのは恥ずかしい Oct 16, 2017
手首の格 「岸和田市天神山居合道(真剣道)稽古会」 Oct 15, 2017
萬重関塾長からの手紙 Oct 14, 2017
ん猫はガンラナ内 Oct 13, 2017

写真集

Gallery

日本ブログ村

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
心と身体
464位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
メンタルヘルス
72位
アクセスランキングを見る>>